創業期

ひでじビールの創立は1996 規制緩和により地ビール解禁となり、全国各地に「地ビール」が生まれていた頃、ひでじビールは誕生。
ひでじビールを立ち上げたのは、当時すでに高齢であった創業者の故「西田 英次」(にしだ・ひでじ)氏。
水郷延岡の奥、行縢山の麓を切り開いての醸造所とブルワリーレストランの立上げ。 「ひでじ~さん」とも呼ばれていた「ひでじ」氏の名前より名付けられたのが、「ひでじビール」の始まりです。



地ビールブームの終焉

ひでじ氏亡き後、当時の親会社の「一事業部」として、当時の代表者のもとビール醸造、レストラン運営、ボトルビールの販売を行ってきた「ひでじビール」ですが「地ビールブーム」は、数年で去り、当時300近くあった全国の醸造所も、撤退が相次ぐ冬の時代。
「地ビール」が日本に生まれて僅か数年。歴史も浅く情報も少ない。熟練した醸造士も数少ない状況。さらに、欧州とは違う日本の環境でのビール造りは、多くのブルワリーで困難を伴うものでした。
全国で多くのブルワリーが生まれたものの、品質の維持、安定した味づくりが難しい現実。
また、様々なビールスタイルが今ほど受け入れられていないこともあり、当時300近くあった全国の醸造所も、撤退が相次ぎました。その中には、上質なビールを生み出しつつも、経営判断から撤退となったブルワリーもありました。


工場の解体

私たちも日々、悩み続けながら、必死に醸造を行っていました。 県内外での営業、街頭でのイベント販売・・・ しかし、観光地でもなく、また、元来酒造メーカーでない私たちには大きな荒波にもまれ事業撤退の可能性すら現実味を帯びて来ていました。
そして、私たちは品質の安定の為、今までの工程を大きく見直す決断をしました。赤字の事業部に、今一度資金を投入したのは当時の社長 故「西田英敏」氏。私たちは指導者藤木氏を招き、当時のビール造りを一から見直す決断に踏み切ります。
私たちは工場を解体。配管の細部まで磨き上げ、醸造の源となる「酵母」が元気よく働ける環境づくりからの見直しでした。
同時に酵母ラボを設置し、酵母の自家培養技術を習得。現在の味づくりの基本となる環境を作ることができました。
突然の「事業部廃止通告」
品質の安定、そして独自の味づくりに取り組み、各種の商品がコンテスト等でも受賞。
希望が見えた矢先・・・
ある日、突然の「事業部廃止」の通告。それは、「半年後に、ビール事業部を廃止する・・・」というものでした。
創生期から、15年。運営会社からの事業部廃止通告
ビールの品質向上に尽力した前社長英敏氏は既に不慮の事故により他界していました。
当時の運営会社、経営陣の経営判断もあったのでしょう。
私たちは、クラフトビールの世界から突然、去らなければならない状況となりました。
なんとかできないか?
自分たちのビールを、残したい!
当時ビール事業部統括であった現代表、永野は、
「自分たちだけでビール事業をやる!」という決断をしました。
それは「Employee Buy-Out」EBOと呼ばれる、従業員による会社の買収。
しかし買収には多くの資金が必要ですが、買い取るのは従業員。資金はありません。
金融機関に融資をお願いするも、門前払いの日々。
当時の運営会社が撤退を決めた事業。融資のお願いは困難を極めましたが、
最後には、地元銀行の融資が決定。
現代表永野が、以前より会社を離れ取り組んできた地域貢献・地元応援の活動。
それを見て頂いていた方々が、今度は応援してくれたのです。
新生「宮崎ひでじビール」誕生!

再出発に向け、新法人でのビール醸造免許の取得の為、2010年7月、会社設立。
そして、当時の運営会社から土地設備・ビール製造・販売部門を取得。大変ではありましたが、ブランドの存続に最後には暖かい応援を頂き、再出発致しました。
新法人名は「宮崎ひでじビール株式会社」
その昔、醸造所の建つ土地を切り開いたひでじ翁の名前を残し、新しい門出となりました。
2010年7月 宮崎ひでじビール株式会社設立
2010年11月 株式会社ニシダよりビール製造・販売部門をEBO(Employee Buy-Out)により取得
会社案内には、2行で記載されているこの「2010年」
しかしこのとき、宮崎は大変な状況に陥っていました。
試練
畜産県、宮崎を襲った口蹄疫。
終息宣言まで約半年の間、被害を受けた農場は1277件、やむなく殺処分された家畜は28万8649頭、県東部5町ですべての牛と豚がいなくなりました。
甚大な被害を受けた畜産業だけでなく、観光産業他県内の経済への大打撃。
お土産品としての需要も激減、県内消費も激減・・
そして年明けの2011年
県西部の新燃岳が噴火。
広範囲かつ長期の降灰は県の農産物に甚大な被害をもたらし、またもや、一次産業のみならず、長期の観光産業への大打撃・・
更に同年、鶏インフルエンザの発生。

独立直後の試練・・・
もうだめかもしれない。
そんな私たちを救ってくれたのは、県外の既存取引先様や、新しくひでじビールを販売していただけるようになった飲食店様や物販店舗、そして多くのお客様でした。
振り返れば地ビール創生期から、第一次地ビールブームの終焉。
多くの醸造所が生まれ、多くの醸造所が閉鎖されました。

しかし、このころからでしょうか。
地道に歩んできた多くのブルワリーによる、魅力的な商品、品質の高い商品が広がり、また世界的にも「クラフトビール」のうねりは大きなものとなり、今、創生期に夢見ていた「豊かなビール文化」が少しずつ根付こうとしているのを感じます。
地域に生かされて
地元有志の皆様に応援を頂きながらの独立、そして試練。
地域の一次産業への深刻なダメージを目の当たりにしながらの事業継続の中で、
私たちは、「地域」との関わりをより深く意識していくようになりました。
少し前より進めていた、地場産品を使った商品造りを、さらに深く掘り下げ、より、意義のあるプロジェクトとして推進できないか?
地域を意識し、地域に根差した意味のある商品を生み出し、発展させていくことで、地域に貢献する商品造りができないか?
地域に喜ばれる存在でありたい!
その想いから、生まれたのが「宮崎農援プロジェクト」でした。
それは、「宮崎の農畜海産物を積極利用した商品を企画、開発、ブランド化することによって、県内一次産業の活性化を目指すプロジェクト」として生まれた、社内プロジェクト。

そして、このプロジェクトから生まれた、県特産物を利用した様々な商品は、多くの皆様から反響を頂き、多くのコンテストにて高い評価を頂き、私たちを支えるまた一つの柱となりました。
それはつまり、ビール造りにとどまらず、生産者そして地域の力が評価された事。
この地だからこそ生まれた、造る事が出来た「ローカルの価値」。
その価値を事業運営の核においてビール造りに邁進する日々が、困難の中から始まっていました。
YAHAZU Project

独立時に代表永野がつぶやいた、一言。
「いつか宮崎県産だけで、ビールを造りたいね‥」
スタッフの心に種を蒔いたその言葉は「オール宮崎」という夢となり、私たちはビールの主原料である「大麦」の栽培と麦芽づくりに突き進むことになります。
このときは、この行為がどれだけハードルの高いものか、正直理解はできていませんでした。
「知らなかったから、挑戦できた」今ではそう言い切る事が出来ます。
まずはビール造りに必要な「二条大麦」を県内で購入すべく調査。
しかし、結果は残酷なものでした。おなじ九州、福岡や佐賀、熊本大分などでも栽培されている二条大麦が、なんとここ宮崎では殆ど栽培されていなかったのです!
気候や土壌、農業サイクルの違いなどで、宮崎での二条大麦栽培はほぼ0トン、という厳しい現実でした。
「無いのなら、育てるのみ!」
怖いもの知らずのチャレンジ精神が発揮され、そしてその想いに共感して下さる農家さんが現れ、ここ宮崎での二条大麦栽培がスタートしました。
ちょっと踏み込んだ話になりますが、大麦をビール造りの主原料にするためには、6月頃に収穫した大麦を倉庫で数か月「休眠」させ、秋冬に水と酸素を与える「浸麦(しんばく)」を行い、「発芽」させる必要があります。
なぜそんなプロセスが必要かというと、大麦が「発芽」する過程で、大麦の中のでんぷんを「糖」に分解する「糖化酵素」が生まれるから。
ただ、そのまま生長させてしまうと、大麦の若葉が栄養をすべて持って行ってしまうため、「発芽」といっても、芽が出ないタイミング、糖化酵素が一番多く貯まったタイミングを見極める必要があるのです。
それも、ビール仕込みに使う量の大量の麦を、均一に!
そこで、醸造士たちはタイミングを見極め、根っこだけ出た大麦を適切な温度で乾燥(かんそう)/焙燥(ばいそう)します。
せっかく生まれた糖化酵素が麦の中に残る温度帯や時間を見極め乾燥させたこの根っこ付きの麦芽から、根っこを取り除く作業、脱根(だっこん)を行うと・・・
見た目は生の大麦と一緒、でも実は中身は糖化酵素たっぷりの「麦芽」(いわゆるモルト)が出来上がる!という手法です。
「麦芽100%生ビール!」などと、「麦芽」という言葉は世の中にあふれていますが、麦の芽 と書いて「麦芽」というのはこんな理由があったのです!

ワインなど、もともとのぶどうに糖分があるため、アルコールを生み出すのにはこういった複雑な工程は必要ないのですが、ビールは大麦から直接アルコールが生み出しにくい為、大昔の人は経験?から、造り方を生み出していったのだ‥と思うと、とても感慨深いですね!
さて、だいぶ回り道をしてしまいましたが、とにかく私たちはこの「大麦栽培」「麦芽づくり」に数年をかけて地道に必至に取り組んでいく事となります。
当初は誰にも経験がなく、手探りで海外の文献や専門書を探りながらの麦芽づくり。
さらに、宮崎での大麦づくりも加わり、「品質の安定」にはそれはそれは大変な、大変な時間と苦労を伴いました…
もちろん今でも、時間と苦労はかかりますが、ひでじビールの醸造所では日々、麦芽づくりを行っています。
自社での研究や、外部からの多くの知見も得ることができ、いまでは大変ながらもなんとか安定した麦芽づくりを行うことができました。
そして、言い忘れましたが実はこの「麦芽づくり」につかう「浸麦槽」「乾燥機」「脱根機」なども実は全て地元宮崎で試行錯誤し作った「宮崎産」!。 前例がほとんどない事もあいまって市場に機械がないのと、「宮崎のために」という「地域内経済循環」の考えで、地元にお金が落ちる=地域経済活性化の視点での取り組みを行っています。
さらに、発酵・熟成を行う「ビールタンク」も、なんと地元「延岡」で作ってしまいました。

元々は工場を拡張するにあたり、海外産、また国内産のビールタンク等検討していましたが、ここでも代表永野のつぶやき‥「これ、延岡でできるんじゃね?」!!
これは、私たちの地元「延岡市」が世界的企業「旭化成」の企業城下町 といった下地があるのですが、大企業を支える町の中小企業の技術レベルがとんでもなく高い!かったのです。
ビールを発酵、貯酒熟成させるためには、圧力や温度コントロールはもちろん、「徹底的に衛生環境を維持できるタンク」が必要です。
細かい話になると、タンク内面のちょっとしたキズや、溶接部分の目に見えないほどの凹凸個所があると、洗浄がいきわたらず、ビールの大敵である「雑菌」のコロニーが発生してしまうのです。
こういったタンクで造られたビールは、最終的にはどうしても「何か変」なビール、厳密に言えば汚染されたビールになってしまう危険性が高いのです。怖い!
ただ私たちの街には、大企業の薬品や医療品を作るレベルの機材を受け持つ熟練の企業、溶接の匠=日本の匠に選ばれた高度な技術をもつ職人さんがおり、歴史がありました。
企業にとってもビールタンクは初めての取り組みでしたが、出来上がったタンクを見て私たちは驚愕!その美しさ、機能美、そして地元でメンテナンスができる強味。この素晴らしいタンクは今日も発酵、熟成用として醸造所で活躍しています。
そしてここでも、地域内経済循環が実現。さらに、ビールタンクを生産した企業にはその取り組みをみて他企業から仕事が舞い込むなど、地元経済のさらなる発展にも寄与することができました!

そして・・・・完成したのが、みやざきモルト100%、自家製麦芽の「YAHAZU」(やはず)です。
宮崎県産の大麦を宮崎で作った機械で自社製麦、そして地元産タンクで発酵熟成…
さらにこのYAHAZU、「流通」も宮崎県内限定!
それも、「宮崎の夜を、宮崎のビールで盛り上げよう!」というコンセプトで、「宮崎県内の飲食店限定」ビールとして展開しています。
地元宮崎の人たちが誇りとなるビールであるように‥ そして、県外の皆様も、宮崎でお酒を飲めば、宮崎に泊まって、宮崎の経済を豊かにしてくれる・・!そんな思いも込められた、限定流通のビールYAHZU。
2023年にはイギリスで行われるWBA(ワールドビアアワード)の日本大会で日本一、カントリーウィナーとして日本代表に選ばれるまでになりました。
宮崎の畑から生まれるビールを飲みに、ぜひ宮崎にお越しくださいね!
宮崎県産大麦100%、自家製麦芽の「YAHAZU」の完成、そしてホップ生産への取り組みを始めたのは2006年。今年はYAHAZUの誕生から10年、今でも私たちは大麦農家さん、県内の機械メーカー、地元の業者様と一体になった取り組みを進めています。
Brew Local
私たちは並行して、独自ルートでの海外輸出と世界規模でのブランディングにもチャレンジをしていました。
日本ならではの、宮崎ならではの・・と地道に醸し続けた思いは、2017年、「世界一受賞」というひとつの形となりました。
遡ること数年、2015年から北米市場向けに開発、北米のみの限定流通にて輸出を行っていた「和のビール」。
宮崎県産和栗使用のインペリアル・フレーバードスタウト「栗黒」が、イギリスで開催されたワールド・ビア・アワード2017にて、スタイル別世界一、そして最上位であるカテゴリー別世界一のダブル世界一を受賞。

宮崎の中山間地域、山間部の斜面、開墾の難しい土地・・・そんな土地にも負けず、栽培方法を工夫し、農業で生きる先人たちが植え育ててきた宮崎の和栗。
日本らしさを体現する地域の食材を使った栗の黒ビールが、世界からエントリーされた素晴らしいビールの中で素晴らしい評価を頂くことができました。
「栗黒」はその後さらに2022年5月6日、アメリカ・ミネアポリスで開催されました「ワールドビアカップ2022」のスペシャリティービール部門に於きまして最高賞「金賞」を受賞!
そしてAustralian International Beer Awards(オーストラリア)でも金賞受賞!
農工の技術と職人の気質、感性が息づく日本。
伝統と技術の融合であるビール造りを、宮崎の風土、私たちならではの味づくりで・・・
地域の特産物を使った商品が連続して評価頂いたことは、「BREW LOCAL」を掲げ、ビール醸造を通じて地元振興、そして食文化の発展を目指す私たちにとって大変ありがたく思います!
宮崎を、九州を・・・ホップの産地へ?!

ホップ生産は寒冷地で行うもの・・・。
そんな業界の常識に、ひでじビールが挑み始めたのは遡ること2016年。
そうです、「宮崎県産100%」の夢は、大麦、自社麦芽製造だけでなく、「ビールの魂」ともいわれる「ホップ」へも向けられていました。
まずは国内産地、そしてドイツにも向かい、専門家の知見を求めるも・・
返ってきた言葉は、「無理」「諦めたほうがいい」というものばかりでした。
「緯度」「気候」「台風」…様々な理由を挙げて「無理」という言葉が繰り返されます。
「無理と言われても、誰もやったことないじゃん!」
チャレンジする気持ちには更に火がともされ、自社独自の栽培方法を確立すべく、圃場の開墾、見よう見まねからのホップ栽培がスタート!
取り組みに共感してくれた農家さん、醸造スタッフ、営業スタッフの区別なく、社長始めすべてのスタッフが開墾や育成、草刈りなど、時間を惜しんでのチャレンジを開始。
そして、応援して下さる皆様と生産者の皆様の力によってホップの蔓は高く育ち、2017年7月頭、初収穫。
「台風が来る九州では無理」と言われていたホップ栽培も、やってみないとわからないものです。
南国宮崎の太陽を浴びたホップは春先からぐんぐんと育ち、台風が襲来する季節を待たずに、立派な毬花を実らせてくれました。

収穫に合わせて工場スタッフは仕込の準備に動いていました。
2017年夏、初醸造。ひでじビールが長年夢見てきたこの瞬間。
化学的な分析ではホップの成分(α酸)は海外産にも引けを取らない成績。とは言うものの・・・「本当に苦みが付くのだろうか」「香り成分は残るのかな」「投入量は足りるだろうか」・・・収穫したホップを粉砕しながら、高鳴る気持ちと不安で一杯でした。
いよいよ試験醸造当日。
麦汁を煮沸させながら、乾燥・粉砕したホップを、ビタリング・フレーバー・アロマホップの順番で仕込み釜に投入していきます。
さらに、香りの仕上げとして生ホップを投入。
その瞬間、ホップの華やかな香りが仕込み室全体に!麦汁にもしっかりとした苦味と爽やかな香り・・・醸造スタッフ全員、この時の感動は一生忘れないでしょう。
2018年にはホップの土台である「ホップ株」はさらに育ち、県内3か所で収穫。このホップは、更なる試験醸造の為に使われました。
そして現在(2025年)では、県内4か所の圃場で生産を継続。「ホップ生産者協議会」を立上げ、毎年収穫量増と品質の向上に向けた取り組みをスタッフ総出で続けています。
ひでじビールのスタッフは、ただ輸入した原料をビールに変えるだけではなく、年間を通じてのホップ圃場での農作業や麦芽づくりなど、とにかく「農」が多い!のです。
「ビールは畑から生まれる」を合言葉に、今後も地元産原料の使用割合をどんどんと増やしていきます!
九州・宮崎。地域と共に。
ホップの栽培、大麦の栽培や麦芽づくり、ビール醸造から販売までを行う中で、私たちはもっともっと、太くしっかりとした循環を作っていきたいとの思いを強くしていきました。
そして私たちは2018年、より広く深く「九州」という島をフィールドにしたもう一つのひでじビールの柱、「九州CRAFT」を立ち上げました。
地元のフィールドを宮崎から九州へと広げ、より幅広いエリアの地元~地域~を活性化させたい。既成概念にとらわれない新しいスタイルを九州から世界へ!宮崎をはじめとした九州産大麦、ホップやフルーツ九州だからこそできる。九州の恵みを醸すクラフトビールを醸したい!様々な思いが、このブランドには込められています。

・伝統あるビールスタイルをひでじならではの味づくりで表現した、フラッグシップ「太陽のラガー」をはじめとしたコア・ラインナップ。
・宮崎に特化した「YAHAZU」や「栗黒」。
・ビールの面白さと職人のインスピレーションで生み出す限定醸造ビール。
そんな今までの「HIDEJIBEER」はそのままに、より広く自由に可能性を求めるのが「九州CRAFT」
というローカルブランド=九州発のクラフトビール なのです。
コロナ禍を越えて
どなたにとっても「まさかこんな時代が・・・」と感じたのが、新型コロナウイルスに翻弄された2019年年末~2023年初めではないでしょうか・・・・
私たちも例外ではなく、「飲酒を含む会食は問題!」という時代の流れに抗えず、一時的に売り上げは激減‥
お取引のある飲食店様は更に厳しい時代だったと思いますが、注文は止まり在庫の山を抱えることとなりました。
「いつか明ける!」との思い、「コロナ禍が空けたら注文が入る!そのためには仕込みだ!」と前向きに仕込んだビールは、賞味期限切れを待つ状態となり、
先の見えないトンネルの中で悩む日々。
タンクの中に眠るフラッグシップビール「太陽のラガー」も、貯酒期間が長くなりすぎ、自分たちの理想の味から遠ざかり・・・
泣く泣く、6000Lの太陽のラガーを廃棄するということもありました。
そんな中でも、直営オンラインショップや店舗でお買い上げいただいたお客様のおかげで、何とかコロナ禍を乗り切ることができ、
工場を増設!仕切り直しのチャレンジに邁進しています!
太陽のラガー!世界大会受賞!
宮崎の地で、日本一のジャーマンピルスナーを造りたい!という想い、そして宮崎の太陽をイメージして醸した「太陽のラガー」
独立後にも一言で語れない様々な苦難がありましたが、自分たちを支えてくれた、核であるビールの「太陽のラガー」が、2023年5月10日、ワールドビアカップで銀賞を受賞!
本当に本当に嬉しい、特別な瞬間。
「金賞」じゃなくていいの?と思われる方もいらっしゃるかもしれません。でも私たち、この「太陽のラガー」は銀賞でも嬉しいんです!
ビールのコンペティションでは「ビアスタイル」が大きな指標となります。
品質はもちろん、審査の大きなモノサシとなる、「スタイル」に合致しているか?が大きな指標となるわけなのですが、
ワールドビアカップの「銀賞」評価基準は
An excellent beer that may vary slightly from style parameters while maintaining close adherence to the style and displaying excellent taste, aroma, and appearance.(スタイル基準からわずかに異なる場合もあるが、スタイルを厳密に遵守し、優れた味、香り、液泡の状態もエクセレントなビール)と明記されています。
「太陽のラガー」は「ビアスタイル」に厳格に合わせに行ったビールではなく「ひでじならではの味づくり」で仕上げた自分たちならではのビール。
「体が自然に求めてしまう!個性を楽しみながら、何杯飲んでも美味しいドリンカビリティの高いビール」という自分たちのモノサシを体現する「太陽のラガー」が世界基準でExcellent Beer!と評価していただけたのなら、いままでの苦労も報われる!金でなくても、想いは、込み上げるのです…。
とはいえビール造りに終わり無し。もっとたくさんの方にもっとおいしいビールをお届けしたい!宮崎から世界へ!との理想にさらに燃え満足はしていませんので、どうぞご期待下さいね!
ひでじビールでは、昨年受賞の「栗黒」のようなスペシャリティビールもありますが、
九州の素材を活かして地域と共に造り上げる「YAHAZU」「九州CRAFT日向夏」に代表されるローカルならではのクラフトビール、
そして今回受賞の「太陽のラガー」をはじめとした自分たちならではのトラディショナルスタイル等々、様々なビール造りに日々取り組んでいます。
クラフトビールカルチャーが世界で、日本で花開いたこの時代!
国内でも仲間、同志といえる多くのブルワリーが素晴らしいビールを醸しています。
本当に面白い時代になりましたね!!
生賴範義コラボレーション~ご縁が繋いだ伝説のイラストレーターとのコラボレーション~

故、「生賴範義」先生…ご存じでしょうか?そしてぱっと見て読むことができますか?
「生賴」とかいて「おおらい」と読みます。
それは知る人ぞ知る、伝説のイラストレーター。
「絵を描く」ことに集中するため都会を離れ、ここ宮崎に居を構え数十年…。アトリエに籠り、宮崎の地から国内へ、世界へと生涯3000点もの作品を発表し続けたイラストレーターです。
その作品のジャンルは多岐にわたり、「ゴジラ」「スターウォーズ」「グーニーズ」等の世界に衝撃を与えた映画ポスターや雑誌「SFアドベンチャー」、書籍類の表紙挿絵、商品パッケージ、広告等…。イマジネーションと眼、手から生み出された精緻で臨場感あふれる数多くの作品は、イラスト業界のみならず見る者に衝撃を与え続けましたが、「外部との接触を断ちひたすら仕事に打ち込む」スタイルで、その人物像は広く知られてはおりませんでした。
スターウォーズ監督「ジョージ・ルーカス」の訪問希望を「仕事がしたい」と断った逸話からも、その人となりが浮かびます。

2023年、私たちはご縁あって、先生のご子息である画家「オーライタロー」さん、そしてご親族とともにアトリエを訪れる機会に恵まれました。
先生は既に他界されておりますが、宮崎にあるそのアトリエ‐植物に囲まれた古民家‐の中に足を踏み入れた時の衝撃は、魂を揺さぶられるほどのものでした。
主亡きアトリエでしたが、そこには、「私は肉体労働者であり、作業の全行程を手作業で進めたい」と語った生賴先生の「魂のクラフトマンシップ」が、静かに息づいていたのです。
コンピューターグラフィックスが主流の現代、ただ生賴先生の描いた作品群は、すべてがその手と筆から生み出された、熱量が込められた、精緻極まりないイラストレーション。
その、「クラフトマンシップ」への尊敬と共感、オマージュから生まれたのが、2024年から発売を始めた「生賴範義先生コラボレーションラベルビール」です。
宮崎の地から、世界に向け生み出された作品群。ただその業績と魅力はまだ十分に知られているとは思えません。
この地で生きる私たちは、私たちの「クラフトビール」を通じて今の世代に、地域に、改めてその価値とクラフトマンシップを伝える意義がある。「日本が世界に誇る偉業と地域の誇りを、クラフトビールを通じて伝えたい!」その想いを形にした「生賴範義先生コラボレーションラベルビール」は、
・2024年 第一弾「生賴ラガー」
・2024年 第二弾「生賴バーレイワイン」(ワールド・ビア・アワード英国大会 バーレイワイン部門世界一受賞)
・2025年 第三弾「生賴ベルジャントリペル」
と、生賴先生の描いた原画から受けるイマジネーションを醸造士がビールに変え、数年にわたる企画として続けていく計画です。

これもまた、「BREW LOCAL」の一つの側面であり、クラフトビールを通じて地域を盛り上げ、芸術を伝えていく取り組みの一つです。
2026年には新シリーズが登場予定。どうぞご期待ください!
*生賴範義コラボレーション企画特設サイトはこちら
アグリバイオ事業~バイオサイクルの取り組み~

醸造所からビールの製造過程で排出される「麦芽かす」「廃棄酵母」等の製造残渣。
これは「産業廃棄物」であり、廃棄物として処理しようとすればエネルギーとコストを生み出すもの。
醸造所設立当初から、私たちは「まずは自分たちにできることを」として、地域の農家さんや畜産家さんたちに無償でお渡しする取り組みを行ってきました。
しかし、麦芽かすはホカホカの栄養のかたまり。日数が経ってしまうと腐敗してしまう、そして私たちは酵母の「自家培養」を行っており、1仕込みごとに100L以上の「廃棄酵母」が発生してしまい、汚水として浄化槽に排出すると、浄化槽の「水をきれいにする微生物」に大きな負担を与えてしまう・・
という課題をかかえてきました。
そこで始まったのが、「廃棄物を飼料、肥料に自社で加工・販売する」というアグリバイオ事業。
まずは醸造所敷地内に、地元業者と一緒になって造り上げた乾燥設備、社内プラントを設置。麦芽かすや廃棄酵母、そして「麦芽づくり」の際にでる根っこなども合わせて、乾燥肥料、飼料の開発を推進。
県内の農業資材研究者ともタッグを組み、今では数種類の肥料、飼料を開発。
そして今、その原料は自社廃棄物だけではなく、県内の焼酎メーカーから排出される「もろみ粕」、きのこ栽培メーカーから排出される「菌床」なども追加され、自社だけではない県内の廃棄物を価値に変える取り組みを推進しています。
肥料として活用される資材は、土壌改良剤として作物の根の成長と抵抗力をアップさせ、丈夫で元気な食物へ。そしてひでじビールの大麦畑やホップ畑にも活用され、「農のサイクル」を確立。
また飼料として活用される資材は、畜産県宮崎の畜産家の元へ届けられ、嗜好性が高く健康で良い肉質となる飼料として使われ、さらにここから生まれたブランド肉は、ひでじビールの直営店でも使用するなど、かつての「廃棄物」が、完全な「地域循環型資材」へと変貌を遂げることができました。
この過程で、廃棄酵母は全てが資材に変わり、醸造所からの排水は更に綺麗なものに変わり、浄化槽への負担も激減、結果工場排水の水質向上へも寄与することとなりました。
そして今、酵母の培養を元にした取り組みも加速化。
更なる資源活用に向けて、醸造スタッフ一丸となり、事業へ取り組んでいます!
地方から取り組む地域循環型社会の実現へ

様々な取り組みをご紹介してきましたが、私たちの目指すのは、まずはクラフトビールとして「美味しく・安全」であること、さらに「何杯飲んでも体が自然に求めてしまう」ような「ドリンカビリティ」の高いクラフトビールの醸造です。
さらにそのビールを土台として私たちが目指しているのが、「クラフトビールを中心とした持続的な地域経済モデルの構築」。
地域の素材を使ったビールを醸造し、地域とビールの魅力を発信、それに共感頂ける皆様へ、国内へ、世界といった地域外へ販売をすることにより「外貨」を得て、地域内の一次産業活性化、観光、雇用促進。
それは小さいながらも地域経済全体の発展、そして更なる消費拡大へと繋がる・・・と信じて、私たちは手造りの、しかし地域と世界を見据えたビール造りに取り組んでいます。
そして私たちは今も、日々改善に取り組んでいます。そしてこれからも、柔軟な発想力と高い品質の追及で、ローカルからグローバルに、食の文化を盛り上げていきたいと思います!
応援本当にありがとうございます。
これからもご愛飲よろしくお願いいたします!